画像引用:映画・映像|東宝WEB SITE
一人で見るもよし、友達・恋人・家族と見るのも良し。ちなみにワシは一人で見て、泣いた回数は0.5回!
スポンサーリンク
あらすじ
時田数(有村架純)が従兄(いとこ)で店主の時田流(深水元基)と切り盛りする、とある街のとある喫茶店「フニクリフニクラ」。そこには、不思議な都市伝説があった。それは店内の【ある席】に座ると、望んだとおりの時間に戻ることができるというもの。ただし、そこにはめんどくさい……非常に面倒くさいいくつかのルールがあった。
1. 過去に戻って、どんな事をしても、現実は変わらない。
2. 過去に戻っても、喫茶店を出る事はできない。
3. 過去に戻れるのは、コーヒーをカップに注いでから、そのコーヒーが冷めてしまうまでの間だけ。コーヒーが冷めないうちに飲み干さなければならない。
4. 過去に戻れる席には先客がいる。席に座れるのは、その先客が席を立った時だけ。
5. 過去に戻っても、この喫茶店を訪れた事のない人には会う事ができない。
ナチュラルでファンタジックな世界観に◎。
「タイムスリップができる、非常にめんどくさいルールがあるけど」
映画にしろドラマにろ小説にしろ、その世界に初めからある基本設定を自然に受け入れられるかそうでないかで、その後のストーリーの見方は大きく変わってしまうもの。のめり込めたり込めなかったり。その点、今作『コーヒーが冷めないうちに』では、この“タイムスリップと面倒なルール”という基本設定を自然と初めから受け入れることができました。
演出のおかげなのか何なのか。コーヒーでタイムスリップ、レトロな美術で作りこまれたカフェ、タイムスリップする時の凝った演出、時田数のミステリアスでどこか掴めきれない雰囲気。そんな感じで聞いただけでもお洒落そうな要素が揃ってたからこそ、「なんでそんな細かいルールがあんねん」と突っ込む隙を与えてくれませんでした。全体の雰囲気に一貫性があったからかもしれませんね。
設定自体はファンタジックだけれども、自然とその世界観を受け入れさせてくれる雰囲気が良かった。そして、この設定を初めの段階で受け入れることができたらもう安心。これから繰り広げられる4つの人間ドラマを見るために必要なものは全て揃いました。
日常の中にあるちょっとファンタジックな世界観。このワードを見ると『ミッドナイトインパリ』を思い出す。雨降ってる時のパリはキレイって劇中で確かレア・セドゥが言ってたあの映画。これも、パリという日常の世界観の中に突如として現れるファンタジックな世界観みたいな感じで、なんか思い出しましたね。ストーリー内容はマジで全然違うけど。
設定は現代。その中に“コーヒーでタイムスリップ”っていうファンタジックな要素が上手に溶け込んでいたのが良かったですね。
4つの人間ドラマ
そのタイムスリップをもとに、4つの物語が展開されます。それがこちら。
・アメリカに行ってしまった幼馴染の賀田多五郎(林遣都)とケンカ別れをしてしまった三十路直前の独身キャリアウーマン清川二美子(波瑠)。
・若年性アルツハイマーに侵された妻・高竹佳代(薬師丸ひろ子)と、そんな高竹を優しく見守る夫・房木康徳(松重豊)。
・故郷の妹(松本若菜)を裏切って、一人スナックを営む喫茶店の常連客・平井八絵子(吉田羊)。
・数に次第に惹かれていく常連客の大学生・新谷亮介(伊藤健太郎)。
過去に戻れるという【ある席】にいつも座っている謎の女(石田ゆり子)……。
これら4つの物語がオムニバス形式で、タイムスリップできるカフェを舞台に展開されます。
オムニバスなのも目玉の一である今作。そして、オムニバスなんかでは“実はあれとこれが繋がってました”的な展開でカタルシス得るのが定番だったりしますが、今作でそういうのはありませんでした。舞台や時系列が一緒なので、ちょこちょこ繋がりはありますが、4つのストーリーは完全に別々なものの印象。
それが良いか悪いかは別として、そこは好みの問題もあるかとは思いますが、私は特に気になりはしやせんでしたよと。ちなみに、どの話も感動系。ちなみに、私が0.5回泣いたのはアルツハイマーの夫婦の話でした。記憶をなくす系にはめっぽう弱い。
また、この4つの話が進む中で、主人公でタイムスリップができる喫茶店の店員・時田数が成長していくところが上手く表現されていたなと思いました。過去の事件をきっかけに、その店に囚われていたような数でしたが、最後には“タイムスリップ”らしい、ややこしい展開を経て殻を破る。
『中学聖日記』にしろ今作にしろ、有村さんは色んなところで殻を破ってますね。
そこは見ていて気持ちの良いものがありました。
皆さんはどの物語がお好みでしょうか。
吉田羊さんのアドリブに注目
ちらっと聞いた話によると、アドリブでのシーンが結構あるみたいですね。その中でも面白かったのが吉田さんのゴーグルシーンでしょうか。
タイムスリップする際の演出の一つとして、水いっぱいになったカフェの中に沈んでいくシーンがあります。過去・未来に行く人は、水の中に沈んで沈んで・・・気づいたら過去にいるみたいな感じ。
そこで、吉田さん演じる平井は過去に行く際に青のゴーグル(スイミング用)を持参してくるわけですが、、、
これが吉田さんのアドリブだったみたいですね。さすが、発想がクリエイティブ。本当に演技が好きなんでしょうね。そう思わされるエピソードでした。
タイムスリップものにつきもの。最後のややこしい展開を図にしてみた※ネタばれ
タイムスリップできる喫茶店「フニクリフニクラ」。そこに、“ある席“にずっと座り続ける謎の女性が物語序盤からずっといるのですが、物語の終盤でその女性が誰なのか明らかになります。
実は、時田数のお母さん、時田要だったんですね。
設定として、過去に戻った人はコーヒーが冷めるまでに全部飲み切らないと、現実世界に戻ってこれません。そして、現実世界ではずっと同じ席に座り続ける幽霊になってしまいます。
時田数の母である要は、死んだ夫に会いにいき、現実世界に戻ってこれずに幽霊となってしまう。(虚無的なものか!?インセプション!?)
数の淹れたコーヒーで要が戻ってこなかったことから、自分のせいだと思いこんでる数。できることなら、過去に行って、なぜ戻ってこなかったのか母に直接聞きたいと数は思います。
しかし、過去に戻るためには“時田家の女”がコーヒーを淹れる必要がある。けど、現代に時田家の女は数一人。過去に戻ることができません。
そんな中、数の恋人・新谷がとっておきのアイディアを出す。それは、数の未来の娘を現代に呼び、その娘のコーヒーで数を過去に行かせるというもの。結果、それが成功して数は母に会いに。
結果として、母・要は亡くなった父ではなく未来の数に会いに行ってたこと、余命数か月であったことが明かされます。
そんなややこしい展開を図にしてみました。おい!暇かよ!
ってな感じで図にしてみたら疑問が生まれてしまいました。それがここ!
『コーヒーが冷めないうちに』でのタイムスリップのルールでは、“過去に戻って、どんな事をしても、現実は変わらない。”というルールがあります。
でも、娘がいる“未来視点”から考えれば過去を変えてることになるんじゃ、、、矛盾が生じてしまいました。
ということで新たに打ち立てた説がこちら。どん!
これだと説明付きませんかね?まず前提として抑えておくべきポイントが以下2つ。
・過去に戻っても現実は変わらない
・気持ちはどの時間軸でも同じ
過去に戻っても何も変わりませんが、その時の気持ちや意識はどの時間軸でも共有しています。例えば、私たちが見ていた時間軸1での数が、時間軸3での出来事(クリスマス)を夢という形で覚えていたりと。過去に戻って気持ちを再確認することができるのも、全ての時間軸での気持ちや意識は共有されているからです。
そして、私たちが見ていた物語は基本“時間軸1”で起こった出来事でしたが、時間軸2や時間軸3の出来事も交えて見ていた。
- 新谷が数を朝の8時に喫茶店に呼び出したのは“時間軸1”での出来事。
- 数が未来の娘にコーヒーを淹れてもらったのは“時間軸2“の出来事。
- クリスマスで母と再会したのは“時間軸3”での出来事。
別々の時間軸ではありながらも意識や気持ちは共有されるので、どの時間軸の数も、母が戻ってこなかった理由の真実を知り、前へ進み始めることができた。
なにやら哲学的な話をしているような、、、
とにかく、これで説明つきませぬでしょうか。何より、内容の記憶がちょっと曖昧なので変な解釈をしてたらごめんなさい。
さいごに
まぁそんな細かいことはどうでもよくて、雰囲気や設定がファンタジックで良かったです。社会に揉まれて疲労困憊のあなた、ぜひこの映画を見て温かな気持ちになってください。
以上です。
ありがとうございました。